この記事ではトマトではなく、ミニトマトについて言及しています。ミニトマトを安易に弁当に入れる人間に対して、僕は怒っています。
ミニトマトが嫌い
高校生の時の話
他の高校生に比較すると、色々と食べ比べる機会に恵まれていました。地元で美味しいと評判のお店に連れて行ってもらったり、その家の食事をごちそうになったり…… 友人・恋人関係の親御さんが多かったです。
しかし、色々と食べ比べたことで、実家の料理が美味しくないという事実を無視できなくなりました。
弁当に関しては前々から「不味い」とは伝えていたのですが、だからと言って改善する訳でもなく(感謝よりも不味さが勝ってしまう)。
当時は気付きませんでしたが、母親の母親も料理が下手だったんですね。やはり舌の違いなので、仕方がないのかな〜と今は思います。この話を彼女にしたら
サイテー
ひどい
お母さんかわいそう
……(おれより舌肥えとるくせに、よう言うわ)
その不味い弁当の中でも、最も不可解だったのがミニトマト。
僕は好き嫌いが激しく、色々と細かくて面倒くさい人間です。しかし、食に関しては、嫌いなものは少ない。正確には、好んで食べないもの(嫌いではない)が多い。
ですが、ミニトマトはダメです。しつこいようですが、トマトの話じゃないですよ。ミニトマトが嫌いなんです。
レシピ本の表紙に採用されすぎ
さて、ここからが本題です。
レシピ本をよく見るのですが、その表紙を飾る率の高さが凄いんです。特に弁当系の本は顕著ですね。体感的には3~4割ほどミニトマトが使われています。
でもですよ。ミニトマト自体のレシピは載ってないんです。表紙に使われているにも関わらずレシピがない。冷静に考えなくても、これはおかしいですよね。
大学時代、食●●グなどを参考に、全国の飲食店を1000軒近く巡りました。そして卒業して5年経ちますが、ミニトマトを一つの料理として提供するお店を見たことはありません。強いて言えば、四川料理のお店くらい。そこに関しては、エビマヨの端っこに八切にして添えていました。おそらく、甘めのマヨネーズに酸味を足す意図があるのだと思います。
レシピも少なく、お店のメニューにもない。にも関わらず、なぜ表紙を飾ってしまうのか。
答えはもちろん、その美しさです。
レシピ本には、美味しそうな写真が求められます。写真の良さで売り上げが変わるのだから、仕方がない側面もあります。彩色的な観点から見て、「圧倒的に映える赤」に敵う存在はないですし、色彩学をかじれば「赤の持つ影響力」は絶対に否定出来ません。
食のプロに違和感
レシピ・レシピ本を作る方々、、、つまり、料理研究家・フードコーディネーターなどは、食を生業にしています。異常なまで食にこだわり、食材の持つ可能性を多角的に追求し、自分の舌で味の足し引きをする人たちです。そういった方たちが、ミニトマトを表紙に採用してしまう現実に違和感を抱いてしまうんです。
でも、それの何が問題なの? と思う方もいるでしょう。ここからが僕の主張です。
ミニトマトは弁当の構成を崩す
弁当を食べる時、何をどのように食べるのか、食べる順番はどうするのか、ある程度構成を考えてから箸を持つと思います(ですよね?)。
具体例:崎陽軒のシウマイ弁当で、あんずを食べる順番を考えない人間がいますか? いないでしょ?? 初めてシウマイ弁当を食べる人はあんずを警戒し、リピーターはあんずをどこで食べるかを考えるはず。
弁当とは、全ての具材が美味しいから成り立つもの(持論)。そして、食材ごとの味の足し算やハーモニー的なものを楽しむものです。
アスリートの中には食事=トレーニングと割り切っている方もいますが、一般人の多くは違うでしょう。
しかし……
弁当のミニトマトって、そのまま丸々一個入ってますよね。その性質上、ヘタ以外は口に含んで食べる方が大半だと思います。なぜならば、皮が硬く、齧ると汁が飛び散るから。そして、口の中いっぱいに青臭さが広がります。丸々飲み込めない上に、ゲップで再び甦ってくる類のしつこさまで持ち合わせています。
つまり、他の食材で緩和できない影響力があるんです。白米でもお茶でも唐揚げでもにんにくでもコーヒーでも無に帰す、まさにダークネス。
食材との連鎖を生まないダークネスがいるとどうなるか。
最初に始末してしまおうと口にすれば、ミニトマトの味を消すために多くの食材を掻き込まなければいけません。それって、美味しい食材を味わえないので勿体ないですよね。しかし、最後に食べようとしても難しい。食後に影響を及ぼしますから。
つまり、ミニトマトは弁当に向いてないんですよ!! あんな酸味の爆弾に合う弁当のおかずなんてないんです。
使う側の気持ちもわかるが
僕の意見は極論だとしても、先程述べた食のプロが「ミニトマトは好みが分かれやすい野菜」であると知らないわけがないんですよ。つまり、食べる人間のことよりも、彩り優先でミニトマトを起用しているのが現実でしょう。
それだけなら別に良いんですけど、美味しそうな写真のせいで、一般人の弁当にもミニトマトが入ってしまうから大迷惑なんです。
……と、ここまで書いておいてなんですが、いやね、使う側の理由も気持ちもわかるんですよ。人参じゃ物足りないですし、パプリカはスーパーで毎回必ず買う類の野菜ではないでしょうし、ローストビーフだと弁当感が出ない。
僕も弁当を作ってると思いますよ。彩りが欲しいな、、、。特に赤いものがあると良いな、、、あっ。
でもね、やっぱりダメです。ダークネスを弁当に入れて良いのか? いや、だめでしょ。
弁当におけるミニトマトは「甘え」
レシピをお手本に、家庭の弁当に悪影響が波及していく。。。その流れを食い止める人材が出て来ない現状に危機感を覚え、一石を投じたわけです。
逆説的に言えば、 【ダメなレシピ本の表紙はミニトマトを使っている】と導くことも可能です。
弁当の彩は、一つの食材でなく、全体で放つもの。相互関係によって輝かせていくもの、それが弁当ってモンでしょ!!
もともと茶色くなりがちな弁当ですが、それでも頑張って彩り・構成を考えている方々がいます。ミニトマトを使えば簡単なのに、頼らない方々が。僕はその姿勢を賞賛したいんです。そんなあなたたちから本を買いたい。表紙に使わない関係者は努力していると僕は思います。
じゃあ、どんな本がおすすめなの?
と思う方がいるかもしれません。具体的に紹介する余力は残されていないので、もうちょっと待ってください。。。ヒィヒィ
カゴメはミニトマト型ケチャップを作ってくれ!
僕は批判だけして改善案を出さない人間ではありません。
ずーーーーーーっと思っていたことですが、ミニトマト型のケチャップを作りましょうよ、カゴメさん。(そしてトレたまに応募してくれ!)
トマトの未来を変えていけますよ!
おまけ
トマト加工は人類の歴史?
ミニトマトの評価を知人に聞くと、トマト自体が嫌い、という回答の多さがすごかったです。にも関わらず、トマト加工食品は好きな場合が多いのも不思議でした。
考えてみると、ドライトマト、トマト缶、トマトソースなどの加工食品が多いこと自体、トマトをそのまま食べることに抵抗があった人類の歴史なのかもしれませんね。世界的にも、加工用トマトという存在を創り出していることがその証拠……だったり?
参考:加工用トマトとは
トマト加工品について/トマト加工品について:一般社団法人 全国トマト工業会
美味しいミニトマトを食べてないだけじゃないの?
舌のこえている友人に教えてもらったものを食べましたが、やっぱり「う~ん」でした。500円くらいするやつですね。
甘い=美味しい とは限りません。食材によりけりです。
みなさんはどう思われますか?
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