知覧特攻平和会館に行った話です。ちょっと真面目に書いてみました。
知覧特攻平和会館へ
鹿児島市から指宿をぐるっと周って、知覧特攻平和会館へ行った。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
今まで行った鹿児島のどの場所よりも車が混んでいた。気温が35℃近い炎天下、女性の警備員さんが帽子も被らずに丁寧に案内してくれた。その一方で、熱中症にならないか少し心配になった。
500円の入場料を支払い、平和会館へ。
展示室内の写真撮影が禁止されていた。個人的に、撮影が禁止されているとうれしくなる。三鷹の森ジブリ美術館なんかもそうなのだが、【カメラを向けるのではなく、ご自分の目で見て、体で感じてください】というメッセージだと捉えている。
順路に沿って中へ入ると、入り口すぐの場所で多くの人が立ち止まっていた。ちまちま歩きながら流れるのではなく、じ~っと立ち止まって目を凝らしているようだった。「入口付近でこんなに混むなんて展示順のミスだな」と思ったが、それは違った。
その理由は、特攻隊員の方々の手紙を読んでいたから。目を背けることが出来ないほどの言葉が、手紙には綴られていたのだ。
手紙の内容としては、国や天皇、家族に宛てたものと言えばそれまでかもしれない。でも、これは現地でぜひ読んで欲しいと思う。
展示の壁面には、一人ひとりの顔写真と名前が記載されたものが掲示してある。その一人ひとりの人生を、手紙の言葉と一致させているのだとわかった。だから、足が止まるのは当たり前なのだ。
もちろん、手紙と言ってもその形は様々。紙切れのようなものもあれば布っぽいものもある。また、文字の大きさや癖、行間などもすべてが異なるわけで……。共通点としては、特攻する前に遺した手紙であるということのみ。
時代背景は頭の中に入っている。それは義務教育で学んできたもので、誰もが認識しているものだと思う。
けれど……正直に言えば、
「国のために死ぬ」
という感覚が僕にはイマイチわからない(死ぬというか、死ななければならないと言った方が正しいかもしれない)。
にも関わらず、涙が出てくるのは初めてだった。誰かのすすり泣くような声が聞こえたのは間違いではなかったと、この時になってやっと気付いた。
土日祝には視聴覚室で映像が上映されるとのことで、せっかくなので見ることに。
(平日は映像ではなく、語り手の方が語ってくれるそうです)
内容を簡潔に言えば、特攻隊員の方の数人をピックアップして背景を掘り下げるというもの。その中で最も言われていたのが、最後は母親を想っていたということだった。
天皇に宛てたように見える手紙でも、大半は母に思いを馳せている、と。特攻隊員の中には20歳にも満たない男性もいると紹介があった。
胸がさらに苦しくなった。思い出してもなお、苦しくなる。
時代が違えば生まれた場所も異なるので、安易な比較は出来ない。
けれど、僕の人生に目標があって、夢があって、やりたいことがある。上手くいっていないけれど、それでも、僕は思いっきり自分の人生を生きている。もちろん、自由だから苦しむ側面もあるだろう。
けれど、呼吸が出来る。言葉が喋れる。時間もある。それらは紛れもない事実として存在しているのだ。
そう考えると、「今、在ること」に対して感謝せずにはいられなかった。
館内には、戦闘機や軍服など、本当にたくさんのものが展示してある。全国の学校から送られてきたであろう、寄せ書きや千羽鶴なども展示してあった。
歴史的な背景を知らなくても、日本史の勉強をしてなくても、一人ひとりの人生が鮮明に見えてくる。
だから、涙が出る。だから、人も集まるのかな、と思った。
ホームページには以下の説明が記載してある。
私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
ご遺族の方々や関係者の方々にも、感謝しかない。
昭和62年2月に開館したこともあり、今年は知覧特攻平和会館開館30周年記念展を開催している。
僕が生まれて数ヶ月後に平和会館が出来た。けれど、足を運んだのは30年後だった。もっと早く来たかったと思う一方で、今後も足を運びたい・運ばなければと思う場所だった。
大切なことを忘れないためにも。
基本情報・アクセスなど
年中無休で午前9時から午後5時まで
〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡17881
電話: 0993-83-2525
管理運営: 南九州市総務部
2020年8月15日 追記
知覧特攻平和会館が戦艦ミズーリ記念館と姉妹館提携を締結
南九州市の知覧特攻平和会館で15日、アメリカ・ハワイ州の戦艦ミズーリ記念館と姉妹館提携を結ぶ締結式が行われた。
締結式は新型コロナウイルスの感染防止のため、インターネット回線で2つの施設を結んだリモート形式で行われた。
アメリカの戦艦ミズーリは戦時中、喜界島沖で特攻機から体当り攻撃を受け、甲板の一部が破損した。「敵兵でも死んだら敵ではない」とミズーリの艦長は亡くなった特攻隊員を手厚く弔ったという。戦艦ミズーリは現在、記念館として公開されている。5年前からは知覧特攻平和会館と共同企画展を実施するなど交流を深めていた。そして、戦後75年となる15日、交流の継続とさらなる連携を目指して姉妹館提携を結んだ。
知覧特攻平和会館の朝隈克博館長は「過去の歴史を展示しあって、思いを、認識を高めていくのは非常に大事なこと」と話した。
これからも国境を越えて、平和の尊さを伝え続ける。引用:KYT鹿児島読売テレビ
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コメント
こんにちは(^ ^)
私も以前、知覧特効平和会館に行ったことがあります。
momotoyuinさんの記事を拝読させていただいて、その時読んだ手紙の数々を思い出し、胸が苦しくなりました。
このような事実が日本にあったことは決して忘れてはならないし、知っておかなければいけない大切なことだと思っています。
どの時代を生きているのかは関係無く、私達は「命の尊厳」の意味をしっかりと考えなければいけないと思います。
momotoyuinさんの記事を拝読させていただいて改めて深く考えさせられました。
とても感謝しています。