【2023年11月8日 追記・更新】
のんのんびよりを観た後、いつも虚しい気持ちが残ります。なので、その理由を考察してみました。アニメを観ていない人も、ぜひ。
のんのんびよりを観て、、、
全校生徒たった5人の「旭丘分校」。雪解けとともに芽吹き春の足音が聞こえる山里で相変わらずまったり過ごす少女たち。山菜を採ったり、お花見したり、お魚も釣ってみちゃったり・・・。彼女たちの新しい季節の楽しみ方に触れ、子供の頃の懐かしさを再発見できるかもしれません…。
最近、『のんのんびより』というアニメを知った。
2013年に一期が始まり、2018年には劇場版が公開、来年には三期が作られるという。この事実から、とても人気がある作品であることが伺える。2019年6月下旬まで、僕は全く知らなかった。
今更ながらドハマリしたので、この記事を書こうと思った次第である。
のんのんびよりは、いわゆる日常系アニメと呼ばれるジャンルだ。
同じ教室に小学生2人、中学生3人……全校生徒5人の学び舎と、その地域での豊かな四季に沿った日常を描く。簡単に言えば、限界集落のようなものを想像してもらえれば良いと思う。
バスが数時間に一本しかない、電車は一両のワンマン運転、道路には信号もない。このくらいならばよくある田舎だが……コンビニまで徒歩二時間(しかも閉まっている時もある)、大型スーパーまで40キロ、ケータイの電波も入らない。また、家の庭にたぬきが棲み着いていたり、道を横断する牛の姿も見える。山を所有している人がフツーにいたり、地域全体で道普請(冬の雪解けで汚れた用水路の点検、道端に伸びてきた植物の枝打ちをみんなでする)をする点も印象的だ。
もちろん、どんな作品でも「共感」は最も大切な要素の一つなので、あらゆる田舎あるあるが詰め込まれている。けれど、決してそれだけではない。
背景を活かす「間」と「音楽」
このアニメの最大の特徴として、背景の美しさが挙げられる。スクリーンショットしたものをざっと並べたので、ぜひ見てほしい。
アニメの冒頭や場面が切り替わるタイミングで、必ずこういった背景が挿入される。そして、数秒間流れるだけの時間が存在する。また、同じ場所を季節ごとに描き分けている点も良い。それは桜であったり、朝顔であったり……満開と季節をずらして背景として描かれる。
インスタグラムに代表されるような加工&修正で盛った一面ではなく、大人が幼少期を振り返った時の記憶の中のような、鮮明な心象風景を呼び起こす。
作品を通して見ることで、背景を通して季節を意識させるような工夫が伝わるのだ。そこに、キャラクターと音楽が加わってくる。
背景✕キャラ✕音楽
登場人物に、小学一年生の宮内れんげがいる。
引用:「のんのんびより」公式PRツイッター
れんげは、夏休みに父の実家に里帰りしていた同じ学年の女の子:ほのかと友達になる。この作品に登場する人物は皆、同じ学年の友人がいない。そういった環境なので、れんげとほのかは自然な流れで仲良くなる。
水車を写真で撮り、ひまわり畑の中を進み、川で遊び、家に棲み着いたたぬきを紹介し……二人だけのかけがえのない時間が流れていく。そして、「明日も遊ぼう!」と約束。翌日の早朝から目を覚まして、当たり前のようにほのかの家へ行く。
しかし、玄関先に出てきたのは、ほのかの祖母だった。父親の仕事の都合で、ほのかも里帰りから戻った旨を伝えられる。
「ごめんね。ほのかと遊んでくれて、ありがとね」
と謝られた後、ガラガラと扉を閉められてしまう。
その直後から約30秒近く、れんげの変わらない表情がただただ流れる(まばたき数回)。その後、蝉の鳴き声が激しく聞こえ出すことで、れんげは悲しい表情に。涙が溢れ、ゆっくりとその場を去る。れんげにとっては、同じ年齢の友人と遊ぶことも、急に予期せぬ別れが訪れたことも、すべてが初めての経験だった。
予想していた楽しい未来が一瞬で奪われ、放心状態になり、現実を理解するまでに時間を要し、後から後から涙が溢れてくる。ただそれだけのことをしっかりと「間」を持って表現することで、残酷さが強調されるから不思議だ。
しかも、この「間」によって、視聴者はれんげの心境を理解し、感情移入するだろう。さらに「音楽(音の変化)」があることで、視聴者にも理解・想起・感情移入させる効果が増す。
のんのんびよりは、このような背景✕間×キャラクターの描写が多い点も特徴の一つだと考える。
そして、もう一人。作中で非常に重要な役割を持つ人物がいる。それが、ほたるの存在だ。親の仕事の都合で、東京から引っ越してきた小5の女の子(見た目はそうは見えないが)。
のんのんびよりは、ほたるという都会人が田舎を経験し、その感情や過程を伝えている作品でもある。田舎で生まれ育った他キャラとは異なり、ほたるにとっては新しい環境・新しい体験の連続。なので、良くも悪くも、新しい視点で物事を伝える役割を持っている。
特筆すべきは、ほたる自身、田舎に対して嫌悪感がない点。戸惑いこそあるものの、拒絶することはない。現実的なパターンは、都会から田舎へ引っ越す→馴染めずに田舎者を馬鹿にする→ますます馴染めない→東京は良かった……みたいなやつだろう。
しかし、ほたるは違うのだ。それは、口癖である「はーい」という返事に象徴される。
返事は、コミュニケーションにおける非常に重要な要素である。言うまでもないが、「はい」とは、肯定の返事だ。しかし、返事の仕方によっては否定にもなりうるのが現実。めんどくさそうな意思なんかは自然に伝わるし、相手も汲み取る。これは空気を読める人ならば誰もが考えていると思うし、奥さんや彼女と一緒に住んだことがある人ならば経験的にわかるだろう。返事一つで魂胆まで見抜き、その後の機嫌の良し悪しまで変わってくる。
ほたるは、「はーい」の音程が抜群に良い。誘った相手からすれば、嫌な気持ちになることもなければ不安も抱かない。もしかして嫌なのかな? また誘ったら申し訳ない、なんとなく誘いにくいな……と思わせない返事を常にしている。
おそらく、声優さんも気を付けている部分だと思うし、丁寧な指導や工夫もあるのだろう。
僕の大好きな描写がある。
高さ5メートルほど橋(たぶん)から、皆が川に飛び込む回がある。しかし、ほたるだけはなかなか飛び込めずに断念。今まで積極的に誘いに乗っていたほたるも
「ちょっと高くないですか……」
と弱音を吐く。ただ、周りは決してそれを責めることない。
しかし、これが男の場合だったら、「飛べよ、腰抜け!」という罵声が飛んだり、飛ばないことで一気に評価が下がったりする。これは僕が小学生の時に実際にあって、校庭のボイラー室から飛び降りていた。ここから飛び降りれたらかっこいい、みたいな観念がたしかにあったのだ。悲しいことに、このくだらない観念のせいで骨折した友達もいた。映画『スタンド・バイ・ミー』なんかは、この辺りの男の距離感が抜群に上手く描かれている。
閑話休題。その後の展開で、ほたるは再度挑戦することに。再び身を乗り出すも、やはり怖くて、目を瞑ってしまう。しかし、ゆっくりと目を開けると気付くのだ。そこにあるのは今まで共に過ごしてきた友達、そして田舎の景色と音。誰も強制しないし、誰も急かさない。ゆっくりとゆっくりと、ほたるの目に映る背景を流す。何一つ、ほたるの意思を妨げるものなどない、と。そして、この土地に包容されているのだと。
ほたるは深呼吸をして、飛び込む。飛び込んだ後のほたるの弾ける笑顔・皆の優しい笑顔は、作中でも印象に残る場面だ。なぜか涙が出てくる人もいるだろう。
そして翌日、みんなに
「ほたる遊ぼう!」「にゃんぱす~」「今日も秘密基地行くよ~」
と声をかけられた後のほたるの「はーい」という返事は、より一層この土地が好きになったように感じさせる。
この土地のすべてを経験したい、という気持ちをほたるは持っている。しかし、回を追うごとに、その気持ちに主体性が付随するような印象を持つ。知らなかったことを知る喜び。偏見なく受け入れることで、自分の糧になる喜び。ほたるという人物の素直さが伝わる点ものんのんびよりの魅力だ。
のんのんびよりに登場するキャラクターには、世間一般的に言う波乱万丈の人生を歩んできた人物はいない。それどころか、大きな集団に入れば埋もれてしまうかもしれない。言ってしまえば、ふつうだろう。けれど、ふつうが良い。ふつうの中に光る個性が良いのだ。
基本は、最も幼い小学一年のれんげを皆が見守るという一面はあるが、決してちやほや甘やかされているわけではなく、みな、一人の人間として対等に向き合っている。
それは、呼び名が一人一人違う点で表現されている。
- こまり→れんげ
- 夏海→れんちょん
- ほたる→れんちゃん
年齢は違えど、各々が尊重し合っているから仲が良い。だから、何気ない日常の中で行われるキャラの掛け合いも心地良いのかな、と僕は考えている。
のんのんびよりを観ると思い出す
れんげが、自転車の補助輪を外して練習する回がある。何度も何度もこけながら練習する過程を描いているのだが……
新しい自転車を買ってもらった時の感動、補助輪を外した時の成長した感覚。親に100円をもらって、毎日駄菓子屋に向かっていたあの頃。友達と一緒に、一つ遠いエリアのショッピングモールまで行った思い出。
補助輪なしの自転車に乗れるようになった時、れんげが口にする「どこへでも行ける」という言葉……この回を観て、自転車の練習を手伝ってもらったことを思い出したのは僕だけではないだろう。
劇場版の終盤、沖縄旅行から地元に帰った時に
「みんな、明日なんか用事ある? なかったら遊ぼうよ」
と、こまりが言う。三泊四日ぶっ通しで寝食をともにした後に、
(また明日も一緒に遊ぶの……?)
と一瞬思ったが、、、昔は当たり前のように毎日遊んでいたんだよな……とふと思い出した。何をするかは会ってから考えるというか、とりあえず会える時間は会う、みたいな。当たり前のように、暗くなるまで遊んでいた。
二期の最終回で、ほたるが桜の下でしみじみする場面がある。
この土地に越してきた時には想像すら出来なかった今、この瞬間に、自分が立っている事実の中に感動があるのだ。
大学で上京して東京に馴染むまで二年を要し、友人たちと青春を過ごしているという感覚が僕にはあった。この今の経験が、人生におけるかけがえのないものだと。かけがえのない経験を、今、自分はしているという実感があるのだ。
また、祖父母の家は、のんのんびよりと似たような田舎にあった。夜になるとヤモリがいつも窓にくっついてたし、カエルがゲコゲコ鳴いてうるさかった。ウシガエルのオタマジャクシの大群はトラウマだし、カブトガニも捕まえていた(作中はカブトエビと呼んでいたが)。川や滝に飛び込んで遊んだりもしたし、夏はホタルもフツーに捕まえていた。
あとは、カーテンに覆われた怪しい自販機なんかも思い出したし、毛虫やミミズの死骸がアスファルトにこびりついた道なども。
この作品を見れば、嫌でも自分が子供だった頃を思い返すだろうし、自分がどのような大人に囲まれていたのかも理解できるだろう。思い出すことで、のんのんびよりの世界に深く深く浸ってしまうのだ。
しかし……
しかし、現実はどうだろう。作中ではキャラの未来の明るさを投影していたのに、観終わるとそれが切れる。もう戻らない時間を自覚して、自分は過ぎてしまった人間なんだなと確認させられる。
のんのんびよりを観て思ったのは、田舎をつまらないという人は、東京の人は冷たいという人と同じなのかな、と。田舎に不満を持つ人の多くは、「何もない」「つまらない」と思うだろう。しかし、それは人とのつながりで補うことが出来るのかもしれない。
れんげの視点で例えると、前述の水車小屋も、初めて同じ年齢のほのかと遊んだ思い出の場所なのだ。どの場所も、誰かと何かをした思い出で溢れているから、何もないことはない。誰かと共有し、経験を深めることで感情も情景も記憶に残る。
田舎でも都会でも外国でもどこであっても、結局は自分次第なのだ。
……と偉そうに書いたものの、実は、僕自身の過去から証明できたりする。上京して三年目でようやく東京に慣れた時、殻を閉ざしていたのは自分だったことに気付いた経験があるからだ(いつか記事にするつもり)。
また、僕は旅行が好きだ(これは、このブログそのものが証明している)。記事を振り返ると、湧き水や花、滝など、結局は自然が豊かなど田舎ばかり行っている。一年で最も見頃の時期、季節の良いときにだけ訪れて、その豊かさを享受する。
今となっては、旅行に付いて来てくれる人も減った。旅先のカンボジアで出会い、一緒に行動した人とは「また会おう!」と言いあって一度も会ってない。大学で出会い、東南アジアを共に周り、「10年後に同じルートを旅しよう!」と言った一番仲の良かった友人も、現在は連絡が取れない。
親友と呼べる人間がいて、自分のコミュニケーションのスタンスである『狭く深く』を肯定出来ていたのに、今では……。人生には、出会いと別れが付き物であるが、30代になり、その数が平等ではないことを思い知らされている。
そして、現実として田舎に住むことが出来ない人間でもある。一日に一回は外出しないと気がすまないし、コンビニやスーパーの新商品のチェックやマーケティングも好きだ。それに、レベルの高いパティスリーや焼肉屋がないとキツイ。空港や新幹線駅のアクセスも……などなど、言い出したらキリがない。
だからこそ、のんのんびよりを見たことで、田舎には、自分の失ったものの多くがあったんだな……なんてことを思うのだ。
自分が失ってきたもの……。あの時、あの選択肢しか存在しなかった。何度考えても、未来は同じとしか思えない。だから、後悔という概念が介在する余地はない。しかしそれでも、失ったものの大きさは理解する。
死にたくなるという言葉は、ぶっちゃけ大げさかもしれない(これはすみません、ブログ記事として誇張しました)。しかし、のんのんびよりが好きな人からすれば、わからないこともないと信じたい。
本当に大切なものは、目に見えない
『星の王子さま』で有名なセリフだが、僕はのんのんびよりの方がより具体的に、より感情的にそれを学べると自信を持って言える。
何一つ、戻らない。けれど、色褪せずに輝くものがある。それを突きつけられるのだ。
三期が始まる
極端な言い方だが、「観た後に死にたくなるアニメ」の三期が決定したことが、「死ねない理由」になる人もいるだろう。もちろん、僕も楽しみだ。でも、同時に生まれる喪失感は不安でもある。けれど、やはり楽しみだ→以下ループ。
そして、「間」に注目してほしいと個人的には思う。
漫画とアニメの比較
実は、原作の漫画は読んでいない。なので、読み終えたら追記する予定。
最後に、僕が好きなキャラ
ズバリ、ひかげ。宮内家の次女で、れんげの姉である。通称:ひか姉。
東京の高校に通っているので、何かと「東京は~」と都会風を吹かせまくるが……真の都会人であるほたるに見せ場を奪われるのが定番になっている。ただ、田舎を卑下しているわけでも東京に染まったわけでもなく、地元の人間関係を大切にしている姿が見える点が好きだ。
あとは、単純にノリが良い。登場すれば、オチ要因として大活躍する。また、ツッコミの技量が作品で最も高く、声優さん(福圓美里さん)を称賛せざるを得ない。
姉(かず姉)のダメな部分を見てきたからか意外としっかりしてるし、妹(れんげ)の面倒見も良かったりする。とにかく、登場回すべてが面白くなるキャラである。劇場版では主役も務めた(私見)。
三期もたくさん登場させてほしいと思うキャラである。
三期が楽しみで仕方がない!!☆
→三期始まりましたね! やっぱりこのアニメは素晴らしい……
→2月26日発売の月刊コミックアライブ4月号(KADOKAWA)で、11年にわたる連載が終わりました。あっとさん、編集者さん、お疲れ様でした……!!
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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コメント
おはようございます。
作品には接していなくても、ももさんの深い思いが強く伝わってきます。
「本当に大切なものは、目に見えない」。老いてもほとんど変わりませんが、若い頃よりかちょっとは見えるようにかもしれないです。
カメキチさん、ありがとうございます!!
カメキチさんが言うと、やはり説得力があります……。
ブログを始めた頃の人の大半が更新を止めてしまいましたが、僕もカメキチさんを見習って書き続けたいと思います!!