【2024年5月19日 追記】
2018年に裁判員候補に選ばれて、辞退した話です。裁判員裁判の経験を書いた記事が古いもの(2015年前後)しかなかったこともあり、自分で書いてみた次第です。やや長文です。
無断欠席のニュースを見て
刑事裁判の審理に参加する裁判員の候補者として昨年1年間に全国の地裁に呼び出された人のうち、無断で欠席した人の割合(欠席率)が過去最も高い約36%に達したことが最高裁のまとめでわかった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180520-OYT1T50013.html より引用
現在、このブログでは「主義・主張」の類の記事は控えめに留めているつもりだ。そして、裁判員について書くつもりもなかった。しかしながら、このニュースを見て、裁判員に参加した経験・感じたことを最高裁に向けて書きたくなったので、振り返りつつ綴っていく。
辞退するまでの流れなど
封書が届いた
裁判が行われる日の3ヶ月ほど前だろうか、裁判員裁判の候補に選出されたという封書が届いた。いくつかある書類の中でも「質問票」と「旅費等の振込先の届出」を返信する必要があった。
- 質問票……裁判員として参加できない正式な理由はありますか? という質問。主に日程・体調面などだろうか。
- 旅費等の振込先の届出……これはそのまま。銀行口座を記入して返信。
正直、この時点では好奇心の方が大きく、辞退するつもりは全くなかった。
当日
指定された日・時刻に、裁判所へ出向いた。集合は9時半だったと思う。30分前に出向いたものの、受付の時刻までやることもなく。ロビーで流れていたアニメ↓↓を見て時間を潰した。
総務部総務課山口六平太裁判員プロジェクトはじめます! – YouTube
制作会社はエッグ。現在はなぜか非公開
この日の流れとしては、以下である。
- 受付時間まで待つ
- 裁判員裁判そのものの説明や、扱う刑事事件の説明
- 裁判長や弁護士の紹介
- 改めて、日程や個々の事情の確認
- 機械による抽選後、正式に裁判員6名と予備2名が決定
僕がこの記事で書きたいのは、個々の事情の確認の部分である。
待合室に案内されて、やっと事件の要旨がわかる
受付を終え、説明を受けるために待合室へ案内された。ビデオを踏まえた裁判員裁判のテンプレ的な説明の後、事件の要旨・所要時間などがここでやっとわかる。詳細は書けないが、裁判員裁判自体が刑事事件を扱うので、それなりに予想はしていた。それでも、個人的にあまり好ましくない事件だった。
その理由は、二つある。
一つは、同様の事件の被害者の著書を過去に複数冊読んでいること。もう一つは、裁判傍聴の経験に依るものである。
僕は大学生の頃、秋葉原通り魔事件の裁判傍聴に通っていた時期がある。メディア露出が大きく傍聴券が抽選になる類の事件でも、裁判が長く続く場合は人が減ってくるもの。それでも繰り返し通い続けていると、マスコミの記者さんとやり取りが生まれたりする。メディアによっては左右とあるかもしれないが、実際に働いている記者は全く異なる考えを持っていることも少なくない。
そんな当時の僕が、裁判に対して考えていたこと。それは、人が人を裁くことへの違和感である。加害者の過ちの重さを、他人が決断をすることにどうしても納得がいかず、、、だからと言って代替案もないのでぐるぐる考えが巡っていた。
物事に対する答えがわからなかった場合、自分はどうしたいのかを考えるのは自然な流れだと思う。しかし、それでもわからなかったのだ、、、。僕の場合、僕の宗教は僕自身の経験(主に、成功体験に至る過程)である。神を信じていないし、名前のある宗教の信仰もしていない。神社に行くことはあるが、賽銭も入れないし手を合わせることもない(友人や彼女と行っても、僕は眺めているだけ)。
一言で言えば、物事を決断する場合、常に自分で決めてきたのだ。それでも、やっぱりわからない。わからないということだけは明確にわかるのに。
……この感覚を鮮明に思い出したのだ。
質問用紙
この事件を客観的に判断出来ないと裁判長が判断した場合、抽選から外れていただく、という説明を受けた。
それを判断する簡易的な質問がいくつか書いた紙を渡される。詳しく書いて良いのか自信がないので濁すが、要は事件と関わりがある人、事件に思い入れがある人、日程の調整が出来ない人など、最終調整を行う形だ。
その回答によっては、裁判長と個々に面談を行うことになる。
事件の要旨から刑期を予想する自分
事件の要旨を見て、だいたいこの位の刑期だろう、と過去の判例から導いてしまうのは僕だけではないはず。例えば、被害者の人数だったり、刑事事件で扱われやすい単語だったり。死刑または無期懲役は免れないだろう、という言葉を聞いたことがある人も多いはずだ。
前述の秋葉原通り魔事件だったら、死刑以外はあり得ないと考えるのが一般的と言えるだろう。
そのような教育を受けてきたこともあるし、実際に判決がなされてきた。司法試験を受ける人間も過去の判例から学ぶのだ。
実際の人を見ていない、口頭弁論も聞いていない。それにも関わらず、ある程度の刑期を予想してしまう(そしてその通りになる場合が多い)、、、事件の状況・被害者加害者総合的に考慮しなければならないのに。これって、裁判員裁判をする意味を根本から疑うことに直結する。
過去に同じような事件が起きている、という認識を与えているのは裁判所の判断なのだ。
にも関わらず、一般市民を呼び寄せて意見を聞く必要があるのだろうか。
結果的に配慮してもらえる?
裁判長とのやり取りを行うのは、事前用紙に記載した人だけだと思う。これは他の人に確認したわけではないので、断定出来ない。
また、面談の詳細を書くことは出来ないが、自分が用紙に記入した内容について聞かれて、それを答える形になる。質問が簡易的なので、答えも自ずと簡易的に導くようにしているのだと思う。
極端なことを言えば、嫌だからやりたくない、という言い分が承認されるように感じた。もちろん、一般的な社会人がであれば「嫌だからやりたくない」とそのまま言うことは考えにくい。なぜ嫌なのか、それを論理的に・相手に伝わるように話せば、配慮してもらえるのではないか、という推測である。
その理由は、抽選の結果として表れたからである(後述)。
裁判所内の見学
そんなことを考えつつ、抽選の時間を各々自由に過ごす。待ち時間は、約30分ほどだったと思う。待合室には雑誌があり、ジャンルは登山、料理、生活など。
残り20分ほどになったら、書記の人が裁判所内を案内してくれた。これも自由参加だが、候補者全員が参加していたと思う。裁判そのものに関心を持ってもらいたい、という意図を感じたことを覚えている。その最たる例が、裁判長席に座ってもOKだったりするのだろう。
書記さんの説明や人々の様子を見る限り、裁判所に来ること自体初めての人も多かったかもしれない。
結果は落選
その後、待合室へ戻り、抽選の結果発表。僕は当選しなかった。
辞退なのか、落選なのか。裁判長に説明が通じたのかそうでないのか。明確に通達はなかった。僕は辞退の意志を伝えて了承されたと感じてはいるが、裁判長からすればそれは関係なく、ただ機械による抽選で落選しただけかもしれない。
その点は配慮を感じたので、タイトルに「辞退」と入れた。
基準は全て裁判長にある、ということだけが確かなことかもしれない。
裁判員に参加する際のQ&A
服装は?
用紙には、普通の服装で。僕のような捻くれた人間の場合、例えば、ディズニーランド内の普通と、裁判所の普通は異なると思う。普通とは何だろう、普通が一番むずかしい。。。なので、その場にいた人を総合的に判断した。
- ジーンズ◯
- ビーサン△
- ミニスカ△
意外と融通が効くことは確かだ。また、裁判は1日で終わることはないので、当選した場合、翌日から修正していけば良いだろう。
逆恨みされるのでは?
これは辞退したのでわからない。が、可能性は否定出来ないだろう。
直前にバックレる人が過去にいたはず
これは実際に行ってみて、確実にいることを実感した。そして、ニュースを見てやっぱりな、と。その想いもあって、この記事を書いている。
スクリーニングと言うのだろうか、選出する人数の約3倍の人間が集められていた。直前キャンセルも考慮されていることは間違いない。
最高裁への提言
日当は3倍くらい出した方が良い
ニュースをみて思うことは、バックレる人に文句言えないよ、ということである。
支払われる金額としては、日雇いバイトと同じレベル。9~17時拘束で一万円が相場。この金額は、時間拘束分の負担しかなされていないという印象だ。なので、日雇いバイトという表現を僕は使った。
まあ、その金がどこから出るのか、という問題は長くなるのでこの記事では言及しない。ただ、割に合うか? と聞かれれば、全くもって割に合わないとだけ伝えたい。
だって、人の人生を決めるんだもん。
裁判に出席している関係者の方々と、同水準の金額は支給しましょうよ。さすがに裁判長や弁護士と同水準は厳しいかもしれないが、これだとバイトという表現を使われても仕方がない。やってることはそう変わらないのに、金額に反映されていないのが現実だと僕は思う。
直前にわかることが多すぎる
日程は事前に届く用紙に記載してあるものの、その所要時間の詳細は書いていない。仕方ないとは思うが、、、直前にしかわからないという不明確要素もお金に換算してプラスした方が良いのでは? と思う。
ただでさえ、裁判員裁判を最優先させる理由もメリットもないのに、予定も立てられないわけで。そりゃあ欠席率は高くなるやろ! と言わざるを得ない。
他人の人生に干渉する難しさ
目上の大切な人に言われた言葉が忘れられない。「私は寿命を削ってあなたと会っている」と言われたことがある。
時間を共有することは、可能性を奪う意味も大きいのだ。
つまり、人付き合いって重いもの。にも関わらず、その日に会っただけの人の人生を決めるような決断をして良いのか、、、。僕にはやっぱりわからない。
事前に問い合わせることも可能だが、、、
法テラスがサポートダイヤルを開設している。しかし、僕が書いたような「わからない」に答えてくれるわけはないのだ。あくまで用意された回答の中で最適なものを教えてくれるだけに過ぎない。だから、紹介はしない。ないよりはマシというくらい。
メリットは好奇心の充足だけ
現在の裁判員裁判において、何かメリットがあるだろうか? と考えたが、正直なところ、ない。
裁判員裁判を知ってもらうためのパンフレットを貰えるのだが、その裏にあった類の感想は、僕が裁判傍聴をして得られたものと一緒である(裁判員をした、という経験は欠けているけど)。一番多いのは、良い経験になった・新しい視点が得られた等。
ただ、良い経験になるかどうかはその時々、扱う事件にもよるだろう。
何一つ確かなものはない。なぜならば、人はそういうものだから。
更生の定義もわからない
僕は刑務所に入った事がない。犯罪者の人と話したこともない(たぶん)。
だから、何をもって更生なのかがわからない。新聞やニュースを見ることは大切だが、当事者にはなり得ないわけで。刑期を推測する能力だけが伸びてもなあ、、、、と。なので、事件を深掘りした方が良いと思い裁判傍聴した訳だが、それでもわからないわけだ。
そんな人間が人を裁いて良いのかな? と考えたわけである。
最後に
最高裁が何をどのように対策するのか。それだけは見届けていきたい。
と同時に、この記事を見直して思う。僕って本当にめんどくさいな……と。経験も伴っているから、余計にめんどくさい。なので、この記事を読んでくださった方に謝りたい。不快な気持ちにさせてしまったらごめんなさい。
そして最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
裁判員制度開始から15年、9.2万人参加
朝日新聞のニュースを見て、追記しました。15年も経ってたのですね。裁判員の休暇の導入が課題とのことで、制度として維持していくのが大変である、と改めて理解しました。
間接的にでも、犯罪に関わることになるので、裁判官も裁判員も大変だと経験から感じます。今後も見届けていきたい。
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